みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

”普通”が出来なくなっていくこと

 まず最初に、これを読んで欲しい。

Kindle Unlimitedで今読めます。2だけど、2からでいいから読んで欲しい。

1人でも多くの方に。

病院というヘンテコな場所が教えてくれたコト。2 看護師4年目、もう辞めたい…編
 

 

仲本りささんの絵と率直な言葉が好きです。

現役看護師をやりながらイラストを描く生活は大変だと思うけれど、こうして伝えてくれることに感謝してます。

 

昨年9月発売のこの本には、潰瘍性大腸炎という難病の男性が登場する。

潰瘍性大腸炎は若い男性に多いそうで、その男性も19歳。大学を卒業したら何になりたいかとか、たわいもない、ふつうの会話をしている。

 

だけど病状は深刻で、ヘビーになっていく治療も効果が出ない。

病気のせいで友達と過ごせない、病気のせいで夢は叶わないかもしれない。

 

みんなが普通にできることが、自分はできない。

 

 

普段私は見た目に病気がわからないし、かなり活動的な方の人なので、周りの人からは「病気だってことを知っていても忘れるくらい元気」と言われている。

確かにこの病気の人の中では元気な方なんだろうなと自分でも思う。

 

だけど、主治医からは「軽症ではない」と言われているし。

毎日飲んでる数種類の薬でなんとか維持してきて。

それもダメになってきて、あたらしい治療が始まる。

 

去年の夏、すっごくハマったグレープフルーツチューハイ。

 

贅沢搾り グレープフルーツ [ チューハイ 350ml×24本 ]

贅沢搾り グレープフルーツ [ チューハイ 350ml×24本 ]

  • 発売日: 2018/03/20
  • メディア: 食品&飲料
 

 これ、ものすごく美味しいの。

今年の春に向けてケース買いしようかと思っていた矢先だった。

 

新しい薬(免疫抑制剤)がはじまって、グレープフルーツなどの一部柑橘類が摂取出来なくなったのは。

 

 

すごく気に入ってハマって、夜これを飲むと「今日も頑張ったなぁ〜」という気持ちになれてリフレッシュ出来てた。

 

飲めなくなるなら、もっと飲んでおけばよかったな。

 

薬局で薬剤師さんから

「グレープフルーツはお好きですか?」

と聞かれた時の嫌な予感。

できないことが、またひとつ増える予感。

悲しかった。

 

 

冒頭に紹介した本を読んでいて、

「みんなの普通が自分はできない」

ことに、悔しさと悲しさで涙が出た。

 

 

子供を思いっきり外遊びさせてあげたいけど、私は紫外線にあたってはいけない。

皮膚科の先生から

「この病気があるんだから、外に出るなんて絶対ダメ。皮膚は全て隠すくらいのことをしなくては」

と言われたときの驚き。

 

それでも子供と手を繋いで外に出るのは、今しか出来ないことだから。

手を繋いでくれる今しかできない。

 

朝早起きしたいけれど体が重くて動かない。

なんとか持ち上げる気持ちで起きる朝もある。

ずっしりした体で朝ごはんの用意をして、自分の身支度をして、やっと動き安くなる頃にはもう出かけなくては間に合わない。バタバタしっぱなしで朝ごはんはとりあえず何か食べる感じ。

仕事に行って、子供を学童に迎えに行って、一緒に帰って、夕食の支度・お風呂・食事・片付けをしたらもうほぼ寝る時間。子供の相手を間にしているから自分の時間なんてほぼない。

 

やりたいことは色々あるけれど、体調次第でその後夜起きていられるかが決まる。

ダメな時は寝るしかないし、調子がいいときは少し夜更かし。

仕事の休憩時間や、布団の中が自分時間なことが多い。

少しの時間しかなくても、その時間で新しいことができたり、やりたいことが少し進むと、それが翌日の原動力になる。

 

子育て中の養育者はみんなこんな感じかもな・・・いやもっと大変な人がたくさんいるな・・・と思いながら、この生活を今なんとかやってきて、この先も治療をしながらなんとか続けられたらと願う私は「普通」なんだろうか。

 

 

新型コロナのおかげで「普通」ができないことをすごく感じるようになった。

治療で免疫力を落とし続けているから感染しやすい。

外食は怖い。

子供や夫が学校や職場でうつってくるのではないかと怖い。

自分もどこかでうつるのではないかと怖い。

人に会いたい気持ちと、会うことの怖さ。

ずっと怖い。

死がとても近くに来たと、この数ヶ月特に思っている。

変異種でさらに近づいてきた。

 

子供のそばにいられるのはいつまでだろう。

毎日そう思っている。

 

 

「普通」と思われることを、医療の力を借りながらなんとかやっていることを3月から特に感じるようになった。

 

それは薬が増えていくことや、それでも崩れていく体調や、親友とのやりとりや、同年代でこんな病気を持たずに元気でいる人との関わりが増えたことなどから感じるようになったのだと思う。

 

みんなの「普通」を、自分はなんとかやっている。

それ自体が本当は普通じゃないんだってことに、今更気がついたというか、今更認めざるを得なくなった・・・ということかもしれない。

 

 

子供の頃から「普通」が嫌いだったんだよね。

こんなに「普通」って言ったの、人生初かも。ふつうって、なんだろう。

 

 

妊娠中、飛行機に乗りたいと病院で相談したら、医師から真顔で

「死にますよ」

と言われた私は普通なんだろうか。

 

「普通ここまで数値が悪化すると内臓病変とか出てくるんだけど」

と主治医に言われながら今のところその兆候がなくなんとか過ごせている私は普通なんだろうか。

 

 

住む場所、働き方、子育て、みんな「病気があることを前提に」選択する自分だから、病気のない選択の仕方がもうわからない。

病気がある人なら普通はしない選択も、自分にはもうわからない。

 

仕事だってやりたいことはもっとあった。

だけど体調を考えたら?

諦めた選択はいくつもある。

 

「健康管理も仕事のうち」という言葉に、いいようのない悲しさを感じたことも何度も。

憧れる人たちは短い睡眠時間でも活動できるショートスリーパーだけど、それを真似した活動は自分は出来ない。

憧れとの距離の遠さにも、ベースが病気ということはつきまとう。

 

 

ただ今日紹介した本の、

「みんなが普通にできることができない」

っていう悲しさが、他人事じゃなく悲しくて、私は本当はこんなに悲しかったんだと気がついたから。

 

これは気が付けてよかった。

ずっとずっと悲しかった。

自分が思うようには動けないこと。

まわりに迷惑をかけること。

誰かの役に立ちたいけれど、それによって身を削ること。家族に負担をかけること。

悲しくて仕方なかったんだと、あの本で気がつけた。

 

 

今一番大切なのは、娘のために、できるだけ元気でそばにいること。

娘に何かを残す生き方をしたい。

 

7歳の甘えん坊な娘に寄り添いながら、未来の娘にも寄り添えるようにしておきたい。

 

 

今はまだ動けてる。まだほとんどのことが出来る。

「普通」が嫌いな私だから、私にしか出来ないことを、これからもやっていこう。

 

 

紹介した本、1もとてもとても良いので、ぜひ!!

Kindle Unlimitedで読めます。ぜひ。

 

 

いつか仲本さんに、AFTER5でお話を伺ってみたいな。