みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

AFTER5をやる覚悟に近い気持ち

がんや難病患者の告知から5年後に注目して紹介していくAFTER5。

after5project.com


はじまりは、高専女子カンファレンスで知り合ったちらりずむちゃんのツイートだった。

そもそもTwitter自体ほとんど開かなくなっていたのだけれど、何かがきっかけで時々Twitterを開くようになっていた時だった。

久しぶりにTwitterを見ていると、高専カンファレンスで知り合ったあの人やあの人がタイムラインに登場する。その中にたまにちらちゃんもいて、たまたま見かけたちらちゃんのツイートがはじまりだった。



ちらちゃんはすでに『おっぱいサバイバー』という乳がんブログを運営している。

その破壊力のあるネーミングセンス!

強めピンクがかわいくて凛としているブログのデザイン!

リアルな話をほどよい温度感で伝える文章!

そのセンスの良さと小気味良さが好きで尊敬している。

その尊敬するちらちゃんの発信に思わず反応した。


私もずっと、病気になった経験を伝えることはしたいと思っていた。

このブログに時々書いてみたり、高専女子カンファレンスで病気の話をしてみたりはしたけれど、伝わるのはごくわずかの人にだけ。

ずっとずっと思っていたことをやろとしているちらちゃんをまた尊敬して、私もぜひ一緒にやりたいと思った。


私は自分の病気の、自分の経験しかわからない。

私の病気はSLEがメインだけど、SLEは十人十色の症状がある。

まだ同じ病気の人に出会ったことがないからより一層自分以外の例がわからなかった。

ただ、知人の知人の奥さんが恐らく同じ病気で、体調不良で病院に行ったら即入院になりステロイドパルス治療というとてもハードな治療を受けたとは聞いた。それまで病気とは思っていなくて、本人も家族もショックを受けたけれど、数ヶ月の入院後は日常生活に戻れているとも。

他にも、知人の知人のお母さんが恐らく同じ病気で、日によって体調がかなり違い起き上がれない日も少なくないと聞いた。


AFTER5をやることで、私自身も「これからなるかもしれない激しい症状を知る」可能性があった。

それを知るのが怖くて患者会には行かないし、もう検索することもしなくなって10年くらい経つ。

避けてきた情報に自ら触れに行く活動は結構覚悟のいるものだった。

そして公開されたページへの反響のメッセージを見て、個人発信を超えたものをやろうとしていることを更に実感した。


最近自分がインタビュー受けるならこんな感じかなというのを考えていて、病気を知ったあのときのあの気持ちを思いだした。

もしあの気持ちと同じような思いでネットに情報を求める人がいるのなら、その人にどうか届きますように。

私に明るい未来は約束できないけれど、こういう人もいるということは伝えられると思うから。

共に、命の限り生きていきましょう。

そんな気持ちでAFTER5をやっています。