みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

病気について書くこと

このブログは闘病ブログではないし、私は闘病していると思っていないので、たまにしか病気のことは書いていない。闘病していふと思っていないというのは、闘っているわけではなく、病気は自分の一部だと考えているということだ。
ただ、ブログに病気のことを詳しく書かないのは、他にも理由がある。


その理由についてこちらのブログでしっかり書かれている。



私も、自分と同じ病気の人と繋がるのは怖いと思う。
毎年、特定疾患医療受給者証の更新の案内に、患者家族交流会の案内が同封されてくる。その会に出席するお医者さんは私の主治医なので少なくとも1人顔見知りがおり、気軽に出られそうなものなのだけれど、出席しようと思ったことはない。
そこに行って、自分より重症な方に会うことが怖い。「同じ病気なのにあなたは随分軽症なのね」と思われるのも怖い。同じ医療受給者なのに重症度がこんなに違うのね…となるのが怖い。
実際は重症認定されている方はより厚い医療受給があるし、基準より軽症だと受給対象外になる。
毎月病気にかかり、検査を受け、毎日飲む薬を処方されるということはお金がかかる。軽症認定されて受給対象外になったらどうしよう……と不安がっていたら、主治医から
「みずたまさんを軽症だとは思っていませんから」
とハッキリ言われた私なので、自分が思っているほど軽くはないらしいのだが。

病状は人と比べるものではないとわかっているけれど、同じ病気の人について知るのはいつも怖さがつきまとう。
だから同じ病気について書いてあるブログもほとんど読まない。たまに目を通して、元気そうな様子が伝わると少し嬉しくなる。


誰でも病気になり得るわけで、どれもみんな他人事ではない。
苦しさを訴える闘病ブログも、前向きなことが並ぶ病気ブログも、本人の体験が書かれているものはなんでも他人事ではないと思って読めるし、読む勇気がいるなと思う。
当事者でもなく怪しい治療法とかを書き連ねるようなブログは読んだことがないのでわからない。
そういう、治療法とかを押し付けられることはとても苦手だから。

先程紹介したブログは、読んでいて悲観的にならない。前向きな明るいことばかりじゃないけれど、生きてるよ!っていう力を感じる。
書いている人にもう何年も前に会ったことがあるが、とてもかわいくて、かわいくあることを大切にしていて、自分のコンセプトが明解でステキな人だった。思いがけない病気になってから彼女が書いたブログには、その彼女の姿がくっきり反映されているなと感じる。病気になったことで、よりくっきりと生きているのだろうなと感じる。

会ったことはないけれどブログで繋がった人がいる。彼女は365日24時間、私には想像もつかない症状の中生きている人だ。工事現場でアスファルトを掘り起こすような騒音が常に耳の中で響いていると言っていた。
たくさんの症状があって、すごく重くなって寝込んだり、起き上がれるようになったりを繰り返しながら、生きていることと周囲に感謝している人だ。ものすごく美味しそうなお料理を作る。元々はお料理があまりにも美味しそうなのでブログを読み始めたのだった。
今はもう閉鎖されてしまったブログだけど、その人も私にパワーをくれる人だ。長いこと連絡が取れないけれど、生きていてくれることをいつも祈っている。


話がまとまらないけれど、病気について書く、読む、というのは、知る、知らせるという両方で勇気がいるなという話です。