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みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

辞めたい会社は辞めていい③

なんとシリーズになってしまった、この「辞めたい会社は辞めていい」。 今回は自分の経験を書いてみる。 タイトルの響きがさっぱりしているので私の転職はサッパリと決めて次に行っているように思えるかもしれないけれど、ものすごく葛藤したし具合悪くなったし後悔しまくりだったりしたので、そういう日々から得たものがあるなあという話です。

ちなみに①はこちら。

ayukahit.hatenablog.com

そして②はこちら。

ayukahit.hatenablog.com

私自身は20歳で社会人になって30歳までに4回転職したという経験があり、転職回数は多いといえる。 都会ならこれくらいの人はたくさんいるけれど、私が住んでいるような田舎や地方では生涯通しても転職回数4回というのは多いと見られる。それが10年間で4回なのだから田舎では結構引かれる。

①にも書いたけれど、最初に入った会社は10ヶ月で辞めてしまった。 時期尚早だったという気も若干しているけれど、その10ヶ月間は私にとってとても濃密でものすごく沢山のことを得た時間だった。あの会社に入ることが出来て良かったと、今なら心から思える。それと同時に私のいた部署の状況が少しでも良くなっていることを願ってやまない。

その会社を辞めた一番の理由は、同じ部署の先輩たちがみんな視力を落としていて中には目の病気になる人までいた事。裸眼視力が0.03しかない自分には恐怖だった。

しかし辞めるときは理由は色々出てくるもので、他にも給与が低いこと、残業が多くて21時前に帰ることは出来ないこと、残業だけで終わらないので土曜日も出になること、なぜか2つ上の女性陣からすごく嫌われていていじめられていたこと、そもそも自分がやりたい仕事じゃなかったこと・・・などが浮かんできて、この「辞めたい理由」に押し潰されるように体調を崩し、急性大腸炎になってお腹が激痛で会社を2日位休んだ。もう辞めようと本気で思った。

隣の席の7・8歳年上の男の先輩と毎月給与明細を見せ合ってはため息をつき、会社の将来について話していたことも辞めることを決断する大きな要因だった。先輩は毎日深夜0時頃まで残業し、土曜日も出ていて、しかしそれらの時間外業務についてはほとんど支払われていないようだった。私の給与も衝撃的な低さだったけれどまだ21時で帰らせてもらっていたし土曜日は出ていなかったが、先輩のように働いても泣けてくるお給料の安さかと思うと将来は真っ暗に思えた。

私が辞めると課長に申し出て、部内は騒然としたようだった。

課長も部長も同じ部屋にはいたけれどいつもとても忙しかったのでゆっくり話したことはなかったが、辞めると言ったことでお話する時間を作ってもらえた。課長とは1時間以上話したし、部長もかなりの時間を割いてくれた。

お二人共最初は引き止めてくれたけれど、私の意志が変わらないことを察して最後は今後についてとても心配してくれた。特に課長は退職後も電話してきてくれて

「今どうしてるんだ?仕事には就けたのか?」

と気にかけてくれた。一緒に働いているときはわかっていなかったけれど、とても気遣いをする優しい人だったのだと知った。

部長は私にこういった。

「辞めるという決断をすることは大事だ。今ここにいる人はほとんど全員が辞めたいと何度も思っていて、辞める決断が出来ずにここに残っているんだよ。辞める決断を出来ることがうらやましいよ」

退職者の多い会社だと聞いていたけれど部長からこう言われるとは思っていなくて非常に驚いたが、素直で率直な気持ちだったのだろうと思う。

それまで先輩たちからも引き止められていて迷いが生じ始めていたが、この言葉で私は退職を決断してよかったと心から思えた。

私の退職後、先輩から電話があった。私が辞めてしまったことが部内で大きな衝撃となり、課長が率先して環境を変えようと動き始めてくれたそうだ。

「お前のおかげで変わるかもしれないよ。その環境にお前がいないことが残念だけど」

と言ってくれた言葉が残っている。

同じ部署の人達にはとても恵まれていたのだ。幸せだった。

申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、みなさんの状況が良くなっていることを祈るばかりだ。

この時、周囲をよく観察して退職を決断したが、会社が自分にもたらしてくれたものには気がついていなかった。それがわかるのは次の仕事についてからだった。

あ、また長くなってしまったので、続きは④で・・・。

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