みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

SLE・APS患者の妊娠③

こんなに長く書くつもりなかったこのテーマ、今回で終わりにします。


妊娠継続を希望することを産婦人科の先生に伝えて、2週に1回の通院がスタートした。
一般的な健診と同じだと思うけれど、違うのは毎回胎児の心臓をよく確認していたこと、血液凝固の値などを見て薬を決めていたことだろうか。
先生のもと管理されていたので助産師外来がなかったのは残念だった。

普通の生活をしていてよかったが、車の移動とか、遠くに出掛けるということに関して先生は厳しかった。
引越しの話も心底驚いたという表情で、
「それ、先延ばしに出来ないんですか?」
と言われ…。すでに先延ばしにしていたのでこれ以上は延ばせず引越したが、実際の私の生活は先生に話したら2時間くらい説教されたに違いないくらい動き回ったりしていた。引越しだし。

結局私の病状はビックリするくらい安定し、いつも低空飛行だった白血球が基準値内に悠々とあり続け、いつも出る他の症状も出ず快適そのものだった。言われていた毎日の注射も必要なかったので利用しなかった。
幸い胎児にも異変はなくスクスクと育ってくれた。
出産のリスクはあるものの、妊娠生活は平和に過ぎて、やっと私も妊娠したことを喜べるようになってきた。ずっとずっと、お腹の子に何かあるのではないかと不安で、不安すぎて育児のことを考えることも出来なかったが、やっと考えようと思えてきたときには7ヶ月の終わりになっていた。

その後切迫早産で入院することになり、2ヶ月弱の入院生活になる。
入院中は毎日産婦人科の先生が回診に来てくれるのはもちろんのこと、膠原病科の先生も2日に1回は来てくれた。病状のチェックは入院中よりしっかりとしてもらえるようになって、ちょっとした体調の変化にも先生が対応してくれるのでありがたかった。以前から気になっていた息切れや動悸も、病室のベッドに寝たまま心エコーをとってもらえたし。2人の先生と、沢山の助産師さん・看護師さんに見守られた入院期間はとてもよい思い出になっている。

担当してくれた先生や助産師さんのことはまた別記事で書くが、ひとつ触れておくと、通院から入院中までずっと診ていてくれた産婦人科の先生と膠原病科の先生は2人とも私の出産1週間前位に他の病院に移ってしまった。だから実際に産んだときはまだ診てもらいはじめたばかりの先生が担当で、それは少し心細かったしとても寂しかった。

そして無事に3月に出産した。
心配していた諸々のリスクは起こらず、産後急に体調が悪化することもなく、私も、私に関わって下さった医療関係のみなさんも、家族も、本当に胸を撫で下ろした。
それでも産後の体調悪化を予測した膠原病科の先生は、出産してすぐに私の薬を一気に増やした。毎日飲んでいるステロイド剤が4倍になって、これは残念だった。この薬は増やすときは一気だが減らすのは慎重にやるため時間がかかるのだ。
出産から2ヶ月後に病気のかかりつけを元々の主治医に戻してもらった。主治医は私の病状がステロイド剤でコントロールされるものではないとわかっているので、副作用の強いこのくすりをその後1年半かけて徐々に量を減らしてきた。

産後1年過ぎてから検査結果は妊娠前のような数値に戻り、症状もまた出始めて、今ではすっかり元通り。妊娠中の体調の良さはやはり一時的なものだったらしい。

妊娠中、女性の体はガラッと変わる。
お腹が大きくなるだけじゃなく、ホルモンのバランスが激変するし、歯や骨を溶かしてでも胎児に栄養を送ろうとする。髪もパサパサになって、シワやシミが増えたりもする。
そこまでしてお腹の中にいるちっちゃい子を守り、成長させようとするのが女性の不思議だ。そしてSLEやAPSの症状が改善するのも、子供を守るためなんじゃないかと思っている。
体はフルパワーでお腹の子を守っている。


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