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みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

子供がいる社会

子供を育てること つらつらと書くもの

子供を産んでハッキリと変わったのは、子供を育てる視点や子供と一緒にいる発想を得たことだと思う。これまで自分になかった新しい目と脳を得たような気持ち。考えたこともなかったり気にしたこともなかった「子供がいる」ことを毎日考える日々。


私の大切な友達の多くは、未婚で子供がいないか、既婚で子供がいないかで、子供がいる人の方が圧倒的に少ない。
結婚した友達は遊びに誘いにくい…と以前は感じていたけれど、それ以上に友達と関わりにくくなったのは子供が産まれてからだった。
もちろん子供のせいではない。私が友達と会うことが億劫になったり、会いたくて仕方ないけど子供と離れることが不安だったり、そして何よりも、子供のいない友達に子供を産んだ私が会っていいものかわからずに悶々と悩んだりした。
子供が欲しいと願っている友達はたくさんいて、みんなのところにいつか子供がやってきてくれることを祈っている。私の出産時に友達からもらった安産祈願のお守りを、大切な友達に渡せる日を祈りながら待っている。
これに関してはもう本当に、なぜ自分のところに娘が来てくれたのかわからないから、この奇跡がみんなに起こるようにと祈るしかない。
子供がいてもいなくても、友達がそれぞれの幸せの中で生きていることを祈っている。

そんな祈っているような人が「会いたい」と声をかけていいのか、相手を傷つけるのではないか、ずっと迷いがあった。会いたい友達に連絡出来なくなり、時間ばかりが過ぎた。

その友達の方から連絡をもらえた時の私の喜びようといったら!!
やっと会えて、子供にも会ってもらえたことの嬉しさといったら!
連絡をくれた友達に感謝して、また会えることに感謝して、複雑な気持ちに悩み続けた日々を振り返った。


私は元来子供が好きじゃないから、友達の子でも多分連れてこられたらちょっと苦手。いやかなり苦手。ほぼ接することなく過ごすタイプだ。
だから自分の友達のところに子供を連れて行っていいのかなという迷いはいつもちょっとある。
幸いなことに私の周りは子供好きな人が多いから、私よりずっと上手に遊んでくれて助けられることばかり。自分の子供苦手意識は今でも変わらないので、子供と上手に付き合える友達を尊敬している。


ここまで「子供がいる・いない」と書いたが、子供は親に付属するものではなく単独に存在するものだから、社会に存在しているといえる。社会に存在しているのだから、私は子供を妊娠して出産したから「子供がいる」のではなく、それよりずっと前から、それこそ自分が子供の頃から「子供はいた」のだ。
子供はいつだっていた。電車の中、町の中、近所の家、学校、社会の中に。
大人も子供もいたのだ。

だけど子供を妊娠するまで、妊娠するってどんなことかちゃんとわかっていなかった。妊娠している女性の身体の変化、心の変化、仕事との兼ね合い、生活の変化。どんな配慮が必要なのか。
子供を産むまで、それがどういうことかわかっていなかった。産後の辛さ、気持ちの激しい落ち込み、子供と2人だけになる気が狂いそうな日々。幸せもたくさんあるけれど、それを共有出来る人の少なさ。仕事復帰の悩み、家庭との両立、外で仕事して家で家事をして子育てしてという毎日。辛いことも楽しいことも、誰と話せるというのか。

社会の中に子供はいるのに、子供がいるなら親もいるのに、自分が当事者になるまでその現実を知ることはなかった。

これって不思議だなと思う。
どうしてもっと早くから「子供がいる」ことを当たり前のように知ってこなかったのか。

子供を産んでから、「こんなの知らなかった!」に直面した人はものすごく沢山いるだろう。
妊娠してからも同じ。
パートナーや家族の誰かが妊娠したとか出産したとかで、「子供いるとこんなにアレコレ変わるなんて聞いてない!」と思った人ももちろん沢山いて、「何も変わらない」と思っている人は多分変化に気づいてないだけだと思われる。
会社の同僚が産休育休に入ったとか、職場復帰したとかで、仕事の割り振りや責任が変わった影響を受ける人も沢山沢山いるはず。妊婦や子育てしてる親たちへの配慮とか言われても、そんなのこっちだって負担抱えてやってんだよ!な人も沢山いる。

こんなに私達は子供の頃から子供がいる社会にいて、どうしてこんなに「子供がいる」ことについて無知なのだろう。

同じように、老いることや、死についても。

社会全体が子供がいることを当然のように知っていれば、会社の体制も、妊産婦の心構えも、家族の準備も、社会的サポートの必要性も、きっと今より出来るだろう。
老いることや死についても、同じことではないか。


目の前にあるからといって見えているわけではない。
知っているからといって「認識」しているわけではない。
我がことながら、つくづくそう感じる。

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