プラケニルその後 副作用の話
SLEの治療薬プラケニルを、SLEと診断されてから10年経った今月半ばにスタートした。その後の話。
結論から言うと、もうやめました。
飲んだのはわずか5日間でした。
プラケニルを飲んでいた5日間、毎日体調が悪かった。
腹痛、下痢、痛くはないけれど頭をギューッと締め付けられている感覚、ダルさ、頭の回転遅い感じ、吐き気まではいかない気持ち悪さ。朝8時前にプラケニルを飲んで、12時過ぎまで水分以外とれない感じ。お昼ご飯は13時ころからなら少な目に食べられた。
それと、頭を中心にカーーーっと体が暑くなり、しばらくするとスーーーっと引いていく感覚。それを繰り返す。血圧が上がったり下がったりしているのかなと思ったけれど不明。5日目の午後に病院ではかった血圧はいつもより高かったが、主治医は
「まぁ体調が悪いんでしょうね」
と言うに留まりよくわからなかった。
右手の手首から先に違和感があって、微妙に指を動かし辛くなったりも。両手をグーパーグーパーして左右の違いを何度も確認し、右手の動かし辛さを感じてはさすってみたりもんでみたりした。
とにかくそんな状態で午前中は仕事に来ていてもモクモクとデータ編集するくらいしか出来ず、やっと調子が良くなってきたと思ったらもう14時という日々だった。
仕事に支障が出るレベルに体調が悪かったため上司に話したら「早く病院行ったほうがいいぞ」とのことで、病院へ行ったのが5日目。
診察室にはいつもより妙に笑顔な先生がいて、薬を飲み始めてから調子悪いと受付ですでに話していた私は、
「薬を飲み始めてから毎日腹痛と下痢が…」
と話している途中で先生から、
「やめましょう。もう薬はやめましょう。飲むと緊張しちゃうんだろうから。残念ですけど」
と言われたのだった。
アッサリとやめることに拍子抜けしつつ、あんなに検査して話し合って飲み始めたのにもうやめるのかとガッカリしつつ、まだ体調不良の一部しか話していないのに「やめましょう」の一言で話が終わりになることに納得出来なかった。
「頭も痛いというか締め付けられている感覚があるんです」
「頭痛は副作用で出ることもあるんだけど、最初のうちだけは。とにかくもうやめましょう。合わないんでしょう。薬を始めることを不安がっていたし、やめましょう」
そう言う先生のニュアンスは、薬を飲むことで緊張した私が体調不良を起こしているという判断の様子で、合う合わないよりも精神的にお腹を壊しているからそんなに不安ならやめましょうと言われているのだと思った。
何を話しても「やめましょう」で話が終わってしまうのでとにかくもうやめることになった。
副作用だと私は思ったけれど、先生はそう思わなかったようだった。
結局やめたら体調不良は改善した。
たまに腹痛はあるけれど連日悩まされたレベルではないし、頭の締付け感はなくなったし、右手の感覚も戻った。
副作用じゃなく精神的なものなら、病は気からとは本当だ。
プラケニルは目に重大な副作用を起こしてしまう可能性があるので、近視が強く『目が悪い』意識の強い私にはかなり怖い薬だった。
実際眼科医からも薬剤師からも「目の異変には気をつけて」と副作用についてのみハッキリ伝えられた。薬が何に効くかではなくて、副作用についての説明のみなのだから不安になるというもの。
主治医からは、
「皮膚症状によく効く。関節炎にも効く」
と説明を受けた。
一方私の状況で言えば、ほぼ毎日ある症状は内出血であちこちに小さいものから大きなものまで青アザを作っている。ぶつけたわけではないが、勝手に内出血してしまうのでアザが知らないうちに出来ている。今だと右足のふくらはぎにちょっとひどい内出血があって、出来てからもう1週間以上経つがまだ出血中だ。赤黒いアザの中央を見ると、鮮血の赤が滲んているのが見える。勝手に出来てしまう内出血はぶつけたように見える青アザがほとんどだが、時折こういう『今まさに出血してます!』な赤黒いアザが出来る。
そしてプラケニルにはこの内出血に効くわけではないらしい。
というよりも、直接的に効くものはなくて、SLEの活動を抑えられれば間接的に効くのかもしれない。そういう意味ではプラケニルも効くのかもしれないが不明だ。
私自身は年に数回皮膚の症状が出ることがある程度で、一時的に困るが治まれば問題ない。それよりも関節痛の方が頻度は多いのでそちらに期待したが、我慢できる範囲なので日常生活は過ごせる。
プラケニルは今はまだ必要ないのでは?という私の気持ち、目の副作用の方が怖いという気持ち、それを考えるとやめることになって良かったのかもなと思う。
またいつか、皮膚や関節痛で日常生活に支障が出るほどになったら再チャレンジだなと自分では思う。
プラケニルの副作用が心配な人は多いと思うけれど、飲んでみた実体験として記録しておく。誰かの参考になれば。
新しい薬 プラケニル SLE
昨日から新しい薬を試している。
試しているというか、新しい薬を使ってみようと主治医から提案され、説得され、使い始めたところ。
毎日飲んでいる薬は、「これだけ飲んでいれば基本的に症状の波は抑えられる」というものらしいのだけれど、ずーっと波がある私の様子を見て主治医が新しい薬を提案してくれたのだった。
その薬は欧米ではSLE患者の基礎薬として飲む方が基本という位置付けらしい。ただ日本では一昔前に腎臓かどこかの病気の患者に大量投与した結果、失明する患者が続出して使用禁止になったという曰く付きの薬だ。
とはいえ、薬ってものには副作用がつきもので、すでに飲んでいる薬も副作用の恐れはもちろんある。過去にもっとたくさん薬を飲んでいたときは、ムーンフェイスという顔がアンパンマンみたいにむくんでしまう副作用が起きたし、薬の副作用を抑えるために更に薬を飲むというイタチごっこもしていた。
副作用はあるのだ。大抵は。
今回の薬は過去に失明する患者を続出させたが、成分だか配合だかを変えてここ数年で新しく使用されるようになったものだそうだ。過去の事例から学んで使用量を抑えることで副作用を極力減らしたらしい。
その割に、飲み始める前に、飲んでも大丈夫かどうかを眼科で調べなくてはいけない。現時点で目に異常があると飲めないそうだ。
先週眼科で色々な検査を受けてきた。
視力、眼圧、色覚、視野、眼底、それと網膜の写真を撮って肉眼では見えない目の中まで調べた。
結果、近視が強いという既知の問題以外は見つからず、薬は服用オッケーとなった。
私があまりにも不安がるので、主治医は標準的な量よりも少なく処方してくれた。使ってみて改善しなかったらやめればいいと言ってくれた。
私の意見を無視するような先生ではないから、先生の提案に乗ってみようとやっと思えた金曜日。処方箋が発行された。
薬局の薬剤師さんは、薬について
「見え方がおかしいと思ったらすぐに先生に連絡してください。一度おかしくなったものは治らないので……」
と、思いっきり語尾を濁して説明した。なかなか怖いことを言う。
「この薬はまだ新しいので……」
と、また濁す。
これまで何種類も薬を飲んできたけれど、どうも今回の新入りはこれまでとは違うらしい。副作用で頭痛・吐き気・下痢などもあるとのこと。
昨日から飲み始め、目の見え方については違和感なし。
ただ胃腸の調子が悪くて昨日は腹痛と気持ち悪さに少し悩まされた。
多分副作用じゃなくて、体調が悪いだけなのだけど。
私のもとに来た新入りはプラケニル。
マラリアの薬だったらしい。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/series/drug/update/201508/543414.html
30%に副作用があるんだって。
そうか…と複雑な気持ちになりつつ、とりあえず2週間飲んでみる。
娘が私のところに来た理由
胎内記憶とか、お腹にやってくる前の記憶とか、あるなら聞いてみたくて仕方がない私。娘が言うなら信じられそう。
しかしこの手の話は、
- こっちから聞き出しちゃいけない
- 話を深堀りしちゃいけない
- 子供が話をそらしたらもうそれ以上話さない
など、割とデリケートに聞かなくてはいけないらしい。
そしてその記憶があるのは3・4歳くらいまでのようだ。ほんとかどうか知らないが。
もし聞くとしても、ちゃんと文章で話せるようになってからじゃないと、せっかく子供が話してくれてもチンプンカンプンで終わってしまう。
タイミングが大事らしい。
こちらから聞いても、子供はわざと話をそらしたり、その話はしたくないと言ったり、とにかく話さないようにする傾向もあるらしい。
こういう話は胎内記憶研究などで有名な池川明先生の本や、同先生が出演している『かみさまとのやくそく』というドキュメンタリー映画を見て知った。ちなみに本の中身も映画の中身も知らずに読んだり見たりしたので、胎内記憶について調べまくったわけではない。
ただ、それらを見てすごく大切なことは学んだ。それは最後に。
さて、聞いちゃだめだ、聞いちゃだめだ…と思いつつ、聞きたくて仕方のない私は昨夜娘に聞いてしまった。娘が話してくれないだろうなということは大体予想がついていた。娘はその手の話題を、わかっていて避けている感じがしたから。
そもそも私は娘の寝かしつけのときに、娘がまだ話せない赤ちゃんのときから、
「大好きだよ。お母さんのところに来てくれてありがとう。モモが来てくれただけで、お母さんは幸せなんだよ。ありがとう」
と声をかけてきた。
娘が愛されてることを感じて自己肯定感を得られるようにという意味で「大好きだよ、ありがとう」を伝えている。
それともう一つ、池川明先生の調査によると、胎内記憶とか胎内より前の記憶があると話す子どもたちの多くが「お母さんを幸せにするために生まれてきた」と言うのだそうだ。
映画『かみさまとのやくそく』の中でも、子供達が口々に「前に生まれたとき悪いことをしてしまった(自殺など)から、今回はお母さんを幸せにするために生まれてきた。今回幸せに出来たら、次生まれるときは自分が幸せになるように生きていい」というような話をするのだった。
これは結構興味深くて、彼らの発言を疑っても仕方ないからまあそういう考えもあるのかもしれないと受け止めて、それなら娘には、自分が幸せになる人生を生きてほしいと思った。
だから私は寝る前に、あなたがいるだけでお母さんはもう十分幸せだからねと伝えている。
それは自己満足に過ぎないのだけれど、面白いことがひとつある。
「幸せだよ、ありがとう」
と言うと、娘はまだ話せない赤ちゃんの頃から、抱っこの腕の中で顔を上げて私を見上げ、にっこりと微笑むのだった。
その言葉のときだけ、決まって微笑んでくれた。何かしら通じているような気がして嬉しかった。
毎日言うわけではないが習慣になっているので、今では娘も
「モモもしあわせだよ ありがとう」
と言ってくれたりする。
さて、聞きたくて仕方がない私は娘に
「モモはどうしてお母さんのところに来たの?」
と聞いてみた。はぐらかされるだろうなと思ったら、照れたようにモジモジして私の胸に顔を押し当てながらこう答えてくれた。
「あのね、おかあさんいないなーっておもって、しんぱいになっちゃって、ここにきたの」
「ここってどこ?」と聞いてみたら、私のお腹をトントンと叩いた。
「お腹に来たの?」と聞くと、胸に顔を押し当てたまま頷いた。
「どこから来たの?」と更に聞いてみたら、
「おなかのなかだよ」
だって。
それ以上は恥ずかしそうだから聞くのをやめて、ギューっとしながら寝ることにした。
3歳ともなると、色々知恵を働かせて話をするし、娘は毎日架空の物語をつらつらと話しているので想像力も創造力も豊かそうだから、この話も彼女の思いつきである可能性は高い。だけど、せっかく話してくれたので、娘がそう言うならそうなのだろうと思った。
お母さんいないなと思って、探してやってきたのかな…と。
映画『かみさまとのやくそく』の中には、前世の記憶をハッキリと持って生まれてきたため現世で生きにくくなった子供と親の話も出てくる。前世で苦しかった、辛かった、悲しかった記憶がフラッシュバックして泣き出す息子を、お母さんは「なぜこの子はこんなに泣くのだろう。この子は何が怖いのだろう」と疑問に思いながらも受け止めて、やがて色々な要素をつないで「前世でとても苦しい思いをした」ことに辿り着いた。その子の場合、その子の話と怖がるもの、たまたまお母さんがテレビで見た昔の映像、それらが繋がったから前世のことまで予測できた。有名な、迫害の末に大量虐殺されたあの中に、息子の前世の人がいたのだと。
それがわかって、というかそうだろうとお母さんが予想して、息子がおかしいのではなく息子に現世では安心して生きてほしいと思うようになれた。お母さんが受け止めてくれたことで、息子さんは徐々に落ち着いて、フラッシュバックも少なくなってきたという話だった。
あの映画を見て良かったと思うことは、子供の言葉を受け止めるということ。
うちの子おかしいのじゃないかしら、
こんなこと言うなんて気持ち悪い。
多分、前世だとか胎内記憶とか、子供が口にした時にこう思う親は多いだろう。
それが嘘でもホントでもなんでもよくて、子供が自分に話してくれたことが大切で、子供を否定せずに受け止めることがとても大切なのだと思った。
あの子も、お母さんが受け止めてくれなければ「おかしな子」として現世でも迫害されたかもしれない。
私はスピ系の人ではないので前世とか「はぁ、そうですか」程度の関心しかないが、映画に出てきたあの子の話はとても説得力があって興味深かった。親子の関係性の作り方も勉強になった。
スピ系が苦手な人にはゾワゾワしちゃう内容盛り沢山な映画だけど、親子関係や心の育ち方という点では非常に興味深いので良かったら見てみてください。私はゾワゾワしたけど、勉強になることもあって見てよかったです。
娘の言葉を受け止める気持ちもドンっと持てたと思うから。ま、スピ系な話はほぼしないけどね。