みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

育児は生産性のない活動なのか

育児は生産性のない活動なのか。

仕事とは呼べないものなのか。

仕事とは呼びたくないものなのか。

ただ消費するものか。

何も生み出さないのか。

企業に務めることは仕事と呼べて、子供といることは怠慢なのか。

子供のそばにいたいというのはただのワガママか。

子供をひとりぼっちにさせたくないというのは傲慢か。

外で働くことはそれだけで子育てを凌駕する価値があるのか。

夜咳き込む子供の背中をさすり睡眠不足になって思い体をひきずり働きに出る。外貨稼ぎが全てなのか。

自分の体と仕事と育児のバランスを考えたいというのは絵に書いた餅なのか。

 

私が子供を孤独にしたくないのは、私が孤独を感じるからかもしれない。

世界にパタンと扉を閉じてしまいたい。

 

ずっと一緒にいたいと言って手をぎゅっと握る娘の、今この時にしか出来ない時間を満たすことを大切にしたい。

それが出来ないこの数年を、一生心の汚泥としてため続け、いつかそれは溢れるだろう。

 

この悔しさを

踏み台になど

するものか

フクロウの声が聞こえる

今月のMステでやっていた、オザケンセカオワのコラボ曲「フクロウの声が聞こえる」。

これがすごくよくて、身の毛がよだつほどの衝撃で、最近ヘビロテしている。

 

 

ところでオザケンセカオワの…とか書いたけど、本当は略して表現するのはあまり好きじゃないから、小沢健二SEKAI NO OWARIのコラボレーション曲、といいたい。

 

 

この曲の良さを表現するのは難しい。自分の中で言語化出来ていないから。

言語化なんてしなくてもいいじゃないかと聞こえるから、アレコレ考えずにただ聞く。

それでいいし、そうしているとぐるぐると頭にも体にも何かが渦巻いていくのを感じられて心地よい。

 

 

久しぶりのブログ。

書くことはやっぱり続けていくことが大切だなと思って書いてみた。

書くことを止めていると、思考も止まる気がする。

書くことを止めて、思考が止まると、行動も止まって、息が止まる。

 

書くことは生きていることだった。私には。

 

きっと泳ぐことが生きていることな人もいるし、笑うことが生きていることな人もいる。批判することが生きていることな人もいて、涙を流すことが生きていることな人もいる。

 

私は書くことが生きていることだ。

 

おなかのなかでぐるぐる

最近は娘の寝かしつけのとき、ぎゅーって抱っこしながらアレコレ話しをする。 娘はとても饒舌になって、時系列めちゃくちゃ、現実か空想かわからない話をたくさん聞かせてくれる。

今日は突然

「ぐるぐるぐるんってしてたの、おかあさんのおなかのなかで」

と言った。赤ちゃんみたいに丸まってぐるぐるしてた様子を再現しながら、

「いっぱいぐるぐるしたんだよ」

と。

ああ、うん、知ってる知ってる。

破水から始まった切迫早産で入院中だったから、『そんなにぐるぐるしたらまた羊水出ちゃう』と心配する私をよそに、そりゃもう豪快にぐるぐるぐるぐる。

毎朝心拍確認があって、 「確か昨日はここら辺にいたんだけど…あれ?またいないな…こっちか?」 と助産師さんたちを惑わせて、ぐるぐる。

逆子がなおったと思ったらまたすぐ逆子になる…を繰り返して、いよいよあと数日で逆子がなおらなければ帝王切開予定しないと…というところで、やっとぐるぐる回るのやめたんだもの。 逆子をなおすために助産師さんが渾身のさらし巻きをしてくれたり、お医者さんが持ち運び型のエコーをベッドまで持ってきてくれて位置を確認したり、みんな君のぐるぐるを 「元気いっぱいだなぁ」 とニコニコしつつ心配してくれていた。

おなかの中で好き放題ぐるぐるしていた娘は、今隣で布団を蹴飛ばしぐるぐる回転して、枕に足を乗せて寝ている。

元気でいてくれて嬉しい。

最近朝方に夢をみるらしく、寝言で

「もうやだ!!おかあさんなんかきらいだもん!!!」

と言いながらバシバシ叩かれ、ガシガシ蹴られるのは本当に参るけれど。