みずたま色の空

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君たちはどう生きるか

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 この本を読んだ。

マンガだけれど、マンガじゃない部分が半分近くあるので驚いた。

中学生のコペルくんと、おじさん(30代?)の話。

 

 

世の中は自分を中心に回っているのではない。

 

世の中の人は目に見えないけれど網の目のようにつながっている。

 

 

偉人も自分も大きな流れの中の水玉に過ぎない。

 

 

などの、人として生きるとは何か?を書いた本だ。

 

本として発表されたのは1937年というから80年も前なのであって、文章のそこかしこにその時代ならではの

 

「〜でなくてはならない」

とか

「〜となるべきである」

という表現がある。

現代では出来るだけ避ける表現だと思う。

 

 

この本をただ1つの本として読んでいたら受け取るものはほんのわずかだったと思うけれど、これを原作に宮崎駿さんが最後の長編アニメ制作をしていると思うと受け取り方が変わる。

 

宮崎駿さんの、世の中に、もしくは10歳以下の子供たちに伝えておきたいことがここにあるのだなという受け取り方になる。

 

前時代的内容だが、現代が失った情熱・元気・活気・関係性・生産・立場・存在などが確かに書かれていた。

 

暖かいものを編みたい季節

また来た。

寒い季節が。

まただ。

編みたい欲求が。

 

気づくのがいつも遅くて、寒いから編みたいと思って始めると編み終わるのは春。

うららかになってきた頃。

 

毎年同じことを繰り返してしまう秋を今年も過ごしている。

 

さて、何を編もうかなぁ。

暖かい毛糸のブランケットを編みたいなぁ。

 

 

娘がお腹にいた時に編んだ綿のブランケットは、赤ちゃんのときにしか使えないと思っていたけれど意外と使えて今も毎晩布団を蹴飛ばして寝る娘のお腹を包んでいる。

娘はどういうわけか布団や毛布やガーゼケットはこれでもかと蹴飛ばしてしまうのに、ブランケットだけは蹴飛ばさないのだ。

 

「わたしの」

 

って思っている。

 

そういう存在になる毛糸のブランケットを編みたいなぁ。

 

 

そういえば3歳半の娘、最近は

「わたしはね」

などと、自分を私と呼ぶ。

そしてやたらと母と自分をセットにして、

「わたしたちはね」

と意見を述べている。

 

わたしって、こんな小さいうちから使う言葉だったのかなぁ。

育児は生産性のない活動なのか

育児は生産性のない活動なのか。

仕事とは呼べないものなのか。

仕事とは呼びたくないものなのか。

ただ消費するものか。

何も生み出さないのか。

企業に務めることは仕事と呼べて、子供といることは怠慢なのか。

子供のそばにいたいというのはただのワガママか。

子供をひとりぼっちにさせたくないというのは傲慢か。

外で働くことはそれだけで子育てを凌駕する価値があるのか。

夜咳き込む子供の背中をさすり睡眠不足になって思い体をひきずり働きに出る。外貨稼ぎが全てなのか。

自分の体と仕事と育児のバランスを考えたいというのは絵に書いた餅なのか。

 

私が子供を孤独にしたくないのは、私が孤独を感じるからかもしれない。

世界にパタンと扉を閉じてしまいたい。

 

ずっと一緒にいたいと言って手をぎゅっと握る娘の、今この時にしか出来ない時間を満たすことを大切にしたい。

それが出来ないこの数年を、一生心の汚泥としてため続け、いつかそれは溢れるだろう。

 

この悔しさを

踏み台になど

するものか