みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

子どもに親の仕事を見せたい

Facebookでお友達になっている人の中にはIT企業に務めている人が何人かいて、たまに「ファミリーデー」などの名前で家族が職場見学に来るという投稿がされている。単純に「うわぁ!それいいなぁ!!」と思った。さすがIT系は進んでいる・・・というより、時代を作っていると思う。

私が子供の頃、父親は外で働いていたが時々ついていける職場だったから裏で大人しくしていれば父が働いている姿を見ることが出来た。
母は家で仕事をしていたので、日中は保育園に通っていて、夕方家に帰ると母が仕事する横でウロチョロしながら手伝いもしていた。
私にとって親が働く姿を見ているのは日常だった。保育園にも行っていたけれど、家で親が仕事しているのを見たり手伝ったりしていたから、親が働くことを自然と受け入れたと思う。何よりも、目の前で見ているのだからどんな仕事をしているのかわかったことも良かった。

ちなみに両親ともに調理の仕事をしていたので子供の頃から家庭のキッチンよりも厨房にいることが多く、業務用のステンレス厨房機器に囲まれていたことが確実に今に影響している。
一昨年リフォームした我が家のキッチンは業務用シンクと作業台などのステンレス製を選んだ。
料理する姿を見るのが大好きで料理番組を録画してまで見たりYou Tubeで料理チャンネルばかり見ているのも、子供の頃に親が調理する姿をずっと見ていたからだと思う。

育児休業中、仕事復帰を控えてナーバスになっていた頃に仕事復帰と子育てについて悶々と考えていた。いざ復帰してからも悶々としていて、自分の生活に何か違和感がある・・・と思っていた時に気がついたのもこのことだった。
私は子供の頃に親が家で仕事しているのを見ていたから、親は家にいることが当たり前だった。家が仕事場を兼ねることも当たり前だった。仕事している親を見るのが嫌だった記憶が無いので、たぶんその環境を私は楽しんでいたと思う。
記憶の中の母は生き生きと料理していることが多かった。

一方で中学生の頃に憧れた友達の母親がいて、その人は専業主婦のようだった。近所の同級生のお母さんで、その家は子供が帰るとお母さんが手作りのお菓子を用意して毎日待っているという話だった。
実際毎日だったかどうかは別として、確かにその家から美味しそうな香りが漂っていることがあって羨ましかった。
その頃我が家は親が離婚して母が出て行った後だったこともあって、家でお母さんが待っている、しかも手作りおやつ付き!というのは非常に羨ましくて、いつも横目でその家を見ながら自宅に帰った記憶がある。お母さんの手作りおやつは愛情そのものだと思った。

いつか自分がお母さんになる日が来るなら、そういうお母さんになりたいと思っていたことを思い出した。
子供が家に帰った時に
「おかえり」
が言えるお母さん。
子供に手作りおやつを用意して、愛情たっぷりで待っていてくれるお母さん。
働く姿を見せてくれるお母さん。
生き生きと働くお母さん。

家事も仕事だから、料理や掃除や洗濯、アイロンがけだとか、そういうことを生き生きと見せられたら最高だと思う。あいにくできていないけれど。

そういうことを思い出して、自分との違いに気がついた。
子供に働く姿を見せられて、子供に「おかえり」が言えるお母さんになりたい。働く姿を見せることは生き様を見せることだと思う。

家で出来る仕事じゃなくても、可能な限り親の仕事を子供に見せられたらいいのにと思う。子供はそこから何かを受け取るから。働くということ、生きるということ、親という1人の人間だということ。
「ああいうふうになりたい」 「ああいう大人にはなるまい」 なんだっていいと思う。子供は何かを受け取る。
親が家にいられないのは何故なのか、何をしているのか。知っていると知らないではきっと違うだろう。

大人だって、子供に見られると思ったらちょっと気合が変わるんじゃないだろうか。
子供に見られる仕事。子供に見せる仕事。子供に見せたい働く姿。

ファミリーデーが日本中に広まれば良いのに。
学校の参観日のように、親も子供に見てもらえたらいいのに。
私は子供に、働くという姿を見せる親になりたいと思う。