みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

最近の娘

家の中にお当番表が作られた。

「きょうはわたしがおとうばん!あしたはおとうさんね!」

「おとうばんさんはお皿とかはこぶんだよ」

ついでに洗ってもらえるとうれしい。

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お手伝いへの温度変化が激しい。

お風呂掃除=ものすごく気が向いた時だけ

卵を割る・混ぜる・味付け・焼く=ほぼ必ずやる

部屋掃除=気が向いた時だけ

自分のおもちゃ周り掃除=ある日突然スイッチが入り一気に断捨離する(2週間に1度くらいのペース)

***

ほぼ毎日鉄棒か縄跳びの練習をしている。

すごい。

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家族内の交換日記をはじめてみた。

一生懸命ひらがなを書いている。

「おかあさん いつも おこるね」

しか書いてない日があったけど、その日は怒ってないのよ。

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「わたしひとりでねる!」

リビングに自分の布団を敷いて本当に寝た。

私はリビングでテレビ見たりしている。

・ ・ ・

そろそろ私も寝るかなぁ。→寝室へ

暗いリビングから響く泣き声。寝たまま泣いている。

抱っこ(20キロ)して寝室へ。

・ ・ ・

朝方半分寝たまま突然話しかけてくる。

「わたしひとりで寝たはずなのに、なんでここで寝てるんだろ?」

幼稚園でお泊まり保育があるので、お母さんがいなくても寝る練習をしているつもりなんだと思う。

***

「ねぇおかあさん、おっぱ◯ってどうやってつくったの?」

どうやったんだろうね・・・。

***

「明日予防接種で注射だよ」

と言ってみたら、真顔から一瞬で笑顔(うそっぽい)になり、

「えぇ〜ちゅーしゃ楽しみぃ!よぼうせっしゅー楽しみすぎるぅ!!」

と謎のテンションに切り替わった。一瞬で思考転換して超ポジティブになったんだと思う。

「わたしぜったいなかないし〜」

って言ってるからきっと泣かないんだろう。ひっさびさだからね、注射。痛いと思うけどね。

AFTER5をやる覚悟に近い気持ち

がんや難病患者の告知から5年後に注目して紹介していくAFTER5。

after5project.com


はじまりは、高専女子カンファレンスで知り合ったちらりずむちゃんのツイートだった。

そもそもTwitter自体ほとんど開かなくなっていたのだけれど、何かがきっかけで時々Twitterを開くようになっていた時だった。

久しぶりにTwitterを見ていると、高専カンファレンスで知り合ったあの人やあの人がタイムラインに登場する。その中にたまにちらちゃんもいて、たまたま見かけたちらちゃんのツイートがはじまりだった。



ちらちゃんはすでに『おっぱいサバイバー』という乳がんブログを運営している。

その破壊力のあるネーミングセンス!

強めピンクがかわいくて凛としているブログのデザイン!

リアルな話をほどよい温度感で伝える文章!

そのセンスの良さと小気味良さが好きで尊敬している。

その尊敬するちらちゃんの発信に思わず反応した。


私もずっと、病気になった経験を伝えることはしたいと思っていた。

このブログに時々書いてみたり、高専女子カンファレンスで病気の話をしてみたりはしたけれど、伝わるのはごくわずかの人にだけ。

ずっとずっと思っていたことをやろとしているちらちゃんをまた尊敬して、私もぜひ一緒にやりたいと思った。


私は自分の病気の、自分の経験しかわからない。

私の病気はSLEがメインだけど、SLEは十人十色の症状がある。

まだ同じ病気の人に出会ったことがないからより一層自分以外の例がわからなかった。

ただ、知人の知人の奥さんが恐らく同じ病気で、体調不良で病院に行ったら即入院になりステロイドパルス治療というとてもハードな治療を受けたとは聞いた。それまで病気とは思っていなくて、本人も家族もショックを受けたけれど、数ヶ月の入院後は日常生活に戻れているとも。

他にも、知人の知人のお母さんが恐らく同じ病気で、日によって体調がかなり違い起き上がれない日も少なくないと聞いた。


AFTER5をやることで、私自身も「これからなるかもしれない激しい症状を知る」可能性があった。

それを知るのが怖くて患者会には行かないし、もう検索することもしなくなって10年くらい経つ。

避けてきた情報に自ら触れに行く活動は結構覚悟のいるものだった。

そして公開されたページへの反響のメッセージを見て、個人発信を超えたものをやろうとしていることを更に実感した。


最近自分がインタビュー受けるならこんな感じかなというのを考えていて、病気を知ったあのときのあの気持ちを思いだした。

もしあの気持ちと同じような思いでネットに情報を求める人がいるのなら、その人にどうか届きますように。

私に明るい未来は約束できないけれど、こういう人もいるということは伝えられると思うから。

共に、命の限り生きていきましょう。

そんな気持ちでAFTER5をやっています。

AFTER5 5年生存したら、その後どうなるの?

がんや難病の告知を受けてから5年後、どんな生活が出来てるんだろうか?

そこに焦点を当てたサイトを作るため動き始めました。

 

after5project.com

 

私自身はSLEの告知から12年以上経ち、毎日薬を飲むこと、定期的な通院、日差しを避けること以外は体調に波こそあれ穏やかに生活しています。

告知された時、すっごく綺麗な青空だったことを覚えています。

まあ、告知っていう感じでもなくて、淡々と病気のことを言われて「はい?何の話してるのかな?」という気持ちだったという状況でしたが。

難病って告知とは言わないのかもしれませんね。

しかしながら先生にとっては難病患者を診るのが日常でしょうけれど、こちらにとっては清水の舞台の縁に立たされたような(例えおかしい)状況なんですけどね。

 

病院がそんな感じだったから、私が自分の病気を詳しく知ったのはネットの情報からでした。

 

病院でどうやら難病らしき話を聞き、よくわからなくて、帰宅してから恐る恐る検索。

そこで出てきたのは難病情報センターという国のサイトでした。

 

そのページを読み、なんだか死因として有名な病気がいくつも掲載されていてクラクラしつつ、下へ下へとスクロール。

そこにあったのがこの文章です。

 

薬剤反応性、予後
現時点では、副腎皮質ステロイドがこの病気の治療には不可欠の薬として知られています。この薬が使われていなかった1950年代に比べ、病気のコントロールは飛躍的に進歩しました。この頃には、発症して5年以上生存する人は50%程とされていましたが、現在では95%以上にまで改善しています。しかし、病型によって、ステロイドの効きやすいものと効きにくいものがあります。免疫抑制薬が使われるようになって、病気のコントロールはさらに良好になってきています。しかし、治療の結果抑えられた免疫システムにより感染症が起こりやすく、これが生命予後に大きな影響を与えています。そして、これらの欠点が少ない、より理想的な薬の開発が多くの国で行われています。

http://www.nanbyou.or.jp/entry/53

 

 

予後って言葉を初めて知って、『発症して5年以上生存する人は』という生存率の基準が5年なことに驚きました。

5年?

5年って・・・短くない??

5年生存できたとして、どんな生活になってるの?

 

この『5年生存率』は、がんの情報でもよく見かけるそうです。

しかし、5年後の情報、特にどういう生活が出来ているのか?の情報はあまり見かけません。

 

当然人によって違うので、自分と比較したいわけではない。

ただ、どんな生き方が出来るのかという姿をあの時知ることが出来たら、5年後の自分の生活を想像することは出来るかもしれない。

 

あの頃は同じ病気の人のブログを検索しては、リアルに綴られる生活や症状に、気が重くなったり、励まされたり、一喜一憂していたことを思い出します。

 

今回、がん患者と難病患者が集まって作り始めた『AFTER5』は、リアルな5年後とその後をお伝えするつもりです。

個人のブログでもわかるけれど、それをもっとギュッと凝縮して、誰か1人の励みになったら。

そんな想いで集まりました。

 

体験を語っていただける方や、サイト作りにご協力いただける方を募集しています。