病気とともに生きるということ
今朝いつもの通勤電車に乗って、いつも通りFacebookを開いて、とても驚いた。
このエントリーが1番上に表示されていたから。
29歳、乳がんの治療を受けました♪ - TMD45'β'LOG!!!
もう何年も前に会ったきり会えていない、そしてまた会いたいなぁと思っている人のこのエントリー。全然知らなかったなぁ、当たり前とはいえ、と思った。
もう何年も前に、高専女子カンファレンスというあまりにマニアックな集まりを開いた。
私は
「やります!」
っていうことしか出来ず、興味を持ってくれた優秀なみんなが着々と準備をしてくれて、ほぼ何のお役にも立てないまま実行委員長を務めた集まりだった。
参加してくれたみんなもまたとても優秀で個性的。マニアックな女子の集まりはとても楽しかった。
顔と名前を覚えるのが苦手な私なので、会わないと顔が思い出せなくなってしまう。
本人の顔よりもアイコンやキャラクターの方が覚えているような繋がり方で今も薄っすら繋がっている高専まわりのみんなと、今年はもっと具体的に繋がる機会を作りたいと考えている矢先だった。
こうして誰かの近況を知りながら自分の体のことを考える機会をもらって、私は毎年乳がん検診を乳腺外科に受けに行くことを決めた。昨年からは併せて子宮ガン検診も受けることにして、毎年恒例のイベントにしている。
時期は忘れないように、誕生月。
病は十人十色千差万別で、同じ名前だから同じでは無い。同じ症状でも、辛い人と普通に生活出来る人がいる。
風邪だってそうだ。
誰かの病気blogを読んで、その人のことを少し考えて、自分のことも少し考える。
blogを読めて良かった。
また会えるかもしれないことはとても嬉しい。
最近になって気になっているというか怖いなと思っていることがひとつ。
娘が私と同じ病気だったら…と思うこと。
ある程度覚悟をしているけれど、出来れば違って欲しいと願うばかりだ。
保育園でバタバタと大騒ぎで遊んでくる娘の足には内出血のアザが数カ所ある。
きっとぶつけてきたんだろうと思うが、ぶつけてきたんだと思いたい気持ちが強い。
私の足もここ最近はまた内出血が悪化中。あちらこちらにアザが出来ていて、足だけではなく腕にもある。内出血は私の特徴的な症状で、主治医曰く珍しい症状だそうだ。
娘の足のアザを見るとスッと悪寒が走る。
思わず腕や他のところにも出来ていないか見てしまう。
「これどうしたの?ぶつけた?」
と聞くと、
「ほーくえんで どんって やったの。いたかったの」
と言うから多分ぶつけたんだろうなと思うけれど、ホッとするところまで安心出来ない。
自分は病気とともに生きて行くとわかっているからいいけれど、娘に遺伝したら嫌だなという気持ちが予想よりも強いことをアザで知る。
自分の内出血を見るのは慣れているが、娘の内出血を見ると不安になる。
これも、病気とともに生きていくことのひとつなんだなと最近やっとわかってきた。
帰宅途中の電車ではてなブログアプリを開いたら、読者になっているブログのニューエントリーのお知らせが。
乳がんになって、抗がん剤治療をしたけれど、ふつうに働いています - おっぱいサバイバー
「忘れる」っていいな。
思い出とは違う。
備忘録を書くことも、語ることも、忘れることも、みんないいなと思う。