みずたま色の空

こどもやごはんや日々のこと。

雪とウツと金木犀

雪だ。

もう辺り一面の雪。

寝ても覚めても雪。

かいてもかいても雪。

上も下も雪だ。

ここまで雪が降ると気持ちがどんどん落ち込んでウツウツとしてくる。ウツウツってカタカナで書くとキャッチーだが、本当の気分はそんなではない。

日照時間が少ないと人はウツっぽくなる。

北欧では日照時間が少ないために家の中を快適にする文化が進んで、あんなに素晴らしいデザインの数々が誕生した。太陽の代わりを果たすライトもあって、人間の本来のリズムを失わないようにしている。


雪が極端に少なかったこの年末年始、体調不良の中で心配していたのは

「どこかで一気に雪が降るのではないか」

ということだった。

そしたら本当にそうなって、しかし想像以上の降り方になってしまった。

もう雪は見たくないというくらい嫌になり、せっかく録画したベニシアさんの番組も「白い冬」なんていって一面銀世界の大原を映しちゃうものだから見る気をなくした。雪が溶けたら見ようと思う。


雪かきは結構好きで、今回もせっせと雪かきをした。

だから我が家の駐車場と目の前の道はすっかり乾くぐらいキレイになっている。雪かきは目に見えて成果が出るのでやっていて楽しい。

乾き始めた家の前の道を見て、これなら出かけられるなと思って車に乗って繰り出した。

そしたらその先の酷いこと!

周りの人達も「アトラクションみたい」「サバイバル」と表現する酷さ。轍が15cmくらいの深さで凍っていて、対向車がいるのに3本しか轍がない。どちらかが避けるしかないのだけれど、避けようにも轍から抜けられない。無理やり抜けて避けたら、今度は避けた先の雪にはまって前に進まない。後ろの車にバックしてもらい、自分もバックしてなんとか脱出。

タイヤが地面に接している感覚がほとんどない、ただハンドルだけが左右にクルクル動いて、車が左右に揺れまくるのをなんとか押さえて進む。


そんな道を必死で運転して帰って来たら放心状態になってしまった。

元々雪の多さにウツウツしてたのに、道の酷さにウツウツウツウツになって、もう気持ちはウツウツウツウツウツウツなのだ。


窓の外、自宅の庭では、木々がずっしりとのしかかった雪に潰されかけていた。

2本ある松はなんとか重みに耐えている。そういえば昨年の冬は1本の枝が折れてしまったこともあった。

その松の向こうにあるはずの金木犀が、雪にすっかり覆われてしまっていた。もうずっと前からここにある、大きな立派な金木犀。

私は金木犀の香りがあまり好きではないので、造園屋さんに

「この金木犀はなくていい」

と話したことがあった。だけど造園屋さんが

「いや、これはとっておいたほうがいいですよ。こんな立派な金木犀なかなかない」

というので、私がここに来るよりずうっと前から庭にいた金木犀を尊重して残したものだった。

その金木犀が雪に潰されてすっかり枝が曲がり、折れてしまっているようにも見えた。

窓の外を見るたびに気持ちが重くなってウツウツしていたが、ふと気がついた。

金木犀が雪に負けているのを見るとウツウツが増している気がする。金木犀が折れたかもしれないと思うと私の気持ちも雪で潰された気持ちになる。

これをなんとかすれば少し気持ちは回復するのでは?


かくして庭に繰り出し、足元の雪をかき分け、ずっしりと雪を積んだ松の下をくぐり、金木犀を救いに行った。

金木犀はすっかり雪に覆われてしまっていたが、幸い折れている枝は全くないようだ。

しなやかに曲がっている。

雪に負けたのではなくて、雪を支えているかのようだ。


地面の雪と一体化してしまっているところの枝は揺すってもビクともしなかったが、その他の枝は何度も何度も揺するうちに雪が落ち、ある程度雪が落ちたところで突然グイッと頭をもたげた。

そして手をググッと天に伸ばすように大きく枝を動かし、何事もなかった顔でスラリと葉を広げたのだ。

不思議と、金木犀がグイッグイッと伸びる様を見ていたら気持ちが上向いた。


しなやかな枝に鳥が来て、雪を小さく散らして羽ばたいた。